杜のことづて

2017/1/27

杜のことづて

大昔の人の心は?

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 なぜか、大昔の人は今の私達より下等で野蛮だったと思っている人もいるようです。

 確かに時代を経るとともに生活は大きく変容し、私たちの世界や文化も分化、細分化してきたわけですが、しかし未分化な状態こそ分化のおおもとであり、大きな可能性を秘めた源泉、豊かな世界だったとも言えるはずです。

 では大昔の人々の心や考え方はどのようなものだったのでしょう。

 
 宮澤賢治の「なめとこ山の熊」という童話があります。

 舞台は東北の山の中、小十郎は腕の良い猟師で熊を獲り熊の胆と毛皮を町に売って生業としていました。熊を獲るのは生活の為であり、熊を殺す度に気の毒に思いつつ仕方ないと言い聞かせていました。熊どもはそんな小十郎が実は好きでした。しかし猟師は生活のために熊の命を戴かなければならず、熊は自分や子熊を守るために猟師を殺さなければならないという山の掟。

 (この掟は、山中という閉じた系だから在るというわけでもなく、系をいくら拡大しても命あるものの宿命と考えられます。)

 この掟の中で、小十郎も最後は銃の不発で熊にやられるのですが、熊は「殺すつもりはなかった」と言い、小十郎は「許せよ」と言って死んでゆきました。熊どもは死んだ小十郎を囲んで雪の山上の平にいつまでもひれ伏していたそうです。猟師も熊もお互いの死に対して敬虔な祈りを捧げるのです。

 
 もちろんこれは童話です。ただ、多くの賢治童話に共通するテーマ、人の命の為には他の命を戴かねばならないという最も基本的な真実が横たわっています。そしてここでは狩猟での、命と命の直接的関わり、だからこその敬虔性、神聖性について語られています。

 縄文前期の人々の生業は採集、狩猟や漁撈が主であったと考えられます。そして当時の人々には活き活きしたアニミズムの世界観生命観があった、あらゆる存在に精霊を見る感性を持っていたと考えられます。
 
 精霊が宿る動物を殺していただくということは、今トレーに入った肉を買う私たちとは比べようもない命と命の直接性を意味するのですから、当時の人々の生活は、今以上にとても神聖で敬虔なものだったのかもしれません。

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