御朱印と言えば、その発生や歴史は別にして、少し前まではお年寄りが慰安の旅等で、有名社寺に詣でた折に戴くものだったように思います。しかし近頃の御朱印蒐集は以前の物見遊山型とは異なり、若い方々が社寺という日本の聖地に導かれ、網羅的に詣でて御朱印を蒐集しているのです。一昔前には考えられなかった光景です。まさに御朱印現象と言えます。 対象も大社のみならず、以前には御朱印とは縁もゆかりも無かった村の鎮守にまで及び、(当神社の場合ですが)対応に迫られているのが実情です。そして御朱印の為なら遠距離も厭わず時間も惜しまず、その動機はとても強い。多くの方が神社についての概略を予め調べてから参拝されているようで、感心することしきりです。 先の新帝陛下御即位当日、令和初日には爆発的な蒐集がなされ、当神社でも早朝に斎行しました践祚改元奉告祭の後は、終日非常事態となりました。嘗てなかったことなので思案していました。
この現象が先ず御朱印自体の魅力を主因とすることは明らかです。日本の数多の社寺の多様性、御朱印もすべて異なります。社寺によっては華やかに工夫された朱印面、又日付等の特別性もあり、蒐集により魅力が倍増するのはよくわかります。
また神仏に参拝して御利益も戴ける。本来の御利益は感謝を込めた心による参拝から生じるもので、御朱印は参拝の証なのですが、御利益の証のようにも捉えられています。御利益は気持ちのことでもありますのでそれを誤りとは言えませんが。
さらにこの現象の背景には、社寺という日本古来の厚い伝統文化、聖地の魅力が底流していることは忘れられません。戦後は長い間自国の伝統的信仰文化には蓋をして教育がなされ、多くの媒体が自国を貶めてきました。その偏った呪縛からやっと解き放たれたように、隠されていた大切な鉱脈を掘り当てたように、この現象は起こったのではないでしょうか。
神社にとっては、多くの方にご参拝いただけることは、その内容が御朱印が主目的のご参拝であっても、とても有り難いことです。何より神社の存在を実際に知ってもらえるわけですし、神職が常駐するところなら神社について直接お伝えする機会が増すことにもなります。この現象を好機に、伝統文化の要としての神社の大切さをお伝えできればと思っています。
ところで、今まで当神社の参拝者は、日頃の御守護に感謝する氏子崇敬者、お宮参りや厄祓等のご祈祷の方々、散歩がてら参拝される近くの方々、いずれも周辺地域の方々に限られました。そして一般的には神社と参拝者は感謝と祈りという大きな意味で繋がっています。
そこに地域を越えて新たに御朱印所望の参拝者が加わりました。御朱印を中心とする繋がりという、新たな局面をもたらしています。時によっては神社の都合と御朱印を求められる方の思いが噛合わない場合も起こります。御朱印を申し込まれる時何かご希望がある場合、又神社について知りたい事がある場合も先ず神職にお尋ねください。
尚私共の神社では職員に余裕がなく祭事で忙しい時など、御朱印に応ずるのが厳しい場面も多いのが実際です。御朱印お求めの方には、長くお待たせすることもあることをご理解の上、時間に余裕をもってご参拝いただければと存じます。