七月も中旬を過ぎ、私の兼務します各鎮守では、八月から十月にかけての秋祭りの準備が総代さん氏子さんたちを中心に進められております。そんな折ある神社の総代さんから、お祭り(例祭)の意味について神社便りに書いてほしいと頼まれたのです。およそのことは経験で知ってはいても、意外に言葉では説明できないものということでした。書いてみると確かに難しい、というか祭りこそ人や社会に意味を生み出しているのではとさえ思えるほど、様々な意味に満ちています。これは、祭りの意味について、短くわかりやすくという必要性の中で、拙いながら書いてみたものです。大切な意味が忘れられているかもしれません。多くの意味の一部とお考えください。
祭りの日はなにか晴れやかです。祭囃子が遠くで鳴るとなぜかワクワクします。普段とは違い、皆が同じ祭り世界に入り込んでゆきます。誰でも、そこに選別はありません。今の流行ではない古い出し物、流行のもの、昔からの神楽、裸電球が照らす露店などなど、日常の感覚や理性では捉えきれない世界が醸し出されています。その世界は人の創意工夫によってつくり出されたものではありません。祭りは見えない神様が中心となって初めて醸し出される世界です。
日本は祭りの国です。千三百年ほどに亘る神仏習合の長い歴史の中でも神祭りを忘れることはありませんでした。「まつる」の語源は、神に[たて「まつる」]であるとする説が有力です。この風土の八百万の神々は両極をお持ちです。普段は深い恵みを授け給う神々に、人々は様々なものをたて「まつる」ことで感謝を表し更なる恵みを祈ってきました。しかし時に測り難い脅威をもたらすこともあり、人々はそこに荒ぶる神の祟りを見出して、祟りを鎮めるためにやはり様々なものを捧げ奉って、神を祭ったのです。
中世から近世にかけては徐々に地域を守る鎮守・氏神への信仰が広がり、現代にまで継承されてきました。鎮守では、最も大切な生業であった稲作のための祭りが広く行われ、今に継承されています。近世には神社或は御祭神に最も所縁深い日を選んで、例祭が行われるようになりました。例祭では一年分の感謝の誠を捧げつつ、皇室を戴くわが国の、又私達の地域の安泰、五穀豊穣等々を祈ります。鎮守の祭り、祭礼と言えば例祭の事という理解が定着しています。
「神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ」とは鎌倉幕府の定めた法律、御成敗式目(貞永式目)の第一条に記された言葉ですが、日本の神様と人との関係を洞察した至言です。地域の人々が神様をよく祭れば、神様のご威力は高まり、それによって地域をより力強く御守護いただける、という神と人との協調的な構図、幸いな循環が見られます。
さらに祭りは、横の関係で言えば、地域の人と人を「むすび」つけ、人は地域の一員であることを心から確認できるのです。また縦の関係から見れば、祭りは人から次世代の人への心や技の継承の時又場となり、毎年繰り返される祭りの恒例性・恒久性によって人は難なく地域の歴史にも「むすば」れて、地域の昨日今日明日に繋がってゆけます。
神様に稲穂(或はそれに代わる種々の物)をたてまつって皆でお祭りすると、神様は私達にとって本当に大切な糧の「むすび」を、おむすびになられて授けて下さるのです。