27日に見たときはポツポツと開き始めた桜ですが、二日間見れず、30日の今日見ましたら、なんともう満開近く、八分咲きでしょうか。昨日今日の暖かさで一斉に花開いています。染井吉野の特長です。天神様は梅じぁないの?と思われるでしょうが(もちろん梅もあります)、きっと五、六十年前の方々は村の鎮守に桜を植えたかったのです。見事に咲いている桜を見ると、昔の方々の思いが伝わってきて有り難く思います。
以前にも記しましたが、「さくら」の語源の一説は、「さ」=稲の神、「くら」=腰掛ける所、というものでした。この説によってみましょう。彼岸も過ぎて段々温かくなり、やがて桜の咲く頃には稲作の農作業が始まります。稲作は、実際私達の命を支える主食を作るのですから昔から最も大切な生業です。古事記の神話には、アマテラス大神から国土を豊かにするよう、地上に天下るニニギノミコトに稲が授けられたことが記されています。尊い稲ですからもちろん稲の神がおられます。春になると山の神が里に下り、田の神つまり稲の生育、豊饒を守護する神となるという信仰がありました。想像ですが、稲の神がその農作業の始まりを見守っています。美しく咲いている、田を見渡す桜にお座りになって。(その昔の桜は山桜だったと考えられます。山桜は個体差が大きいので、一斉に咲く染井吉野とは異なり花期が長くなります。)
さて、アマテラス大神の命により、国土に天下った天孫ニニギノミコトは、美しいコノハナサクヤヒメと出会い求婚します。コノハナは「木花」と記され、桜の意です。コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミノ神は喜んで了承し、姉のイワナガヒメ(石長ヒメ、醜女だが長命)と共に、ふたりをニニギノミコトに貢ぎました。しかしニニギノミコトはイワナガヒメをすぐに返してしまいました。これによってニニギノミコト始め後の天皇の(ひいてはこの地上の人の)命は、桜のごとく短命になったということです。以上は古事記神話の一部ですが、古代にも桜の美しさと儚さが日本人の共通感性としてあったようです。
次に、桜に因む有名な和歌を二首見てみます。
「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」西行法師 (如月は今の四月頃、望月は十五夜の満月)
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」本居宣長 (「敷島の」は「大和」にかかる枕詞)
中世の西行法師の和歌では,夢のように咲く美しさ、一斉に散ってゆくはかなさを両有する桜が、命の帰すべき所とまで耽美的に感受されています。命のはかなさが桜の美に帰結され、無常の完結扁を見るようでもあります。中世の刹那的な無常観が背景にあるわけですが、日本の無常観の形成には、当の仏教思想や世の中の荒廃とは別に、桜の存在が影響しているようにさえ思えます。しかし、西行の桜の花は単なるはかなさには止まらず、究極の美をその花に見ています。桜の美しさは無常を超え出て、無常ではない桜花の永遠性を感じる歌です。多くの有名な和歌同様に、この歌も多くの人々に長い時代を超えて共感されてきたはずです。ということは、そのような桜の感受の仕方が、私達日本人の自然への感受性の核心を言い当てているということでしょう。
近世の本居宣長の歌については、戦時中日本人の潔さを称揚するためによく使われたようで(この歌は潔さを詠んだ歌ではないと思います)、複雑な感情を思い起こすこともあるかも知れません。しかし私達の心に訴える力があって、やはり時代を超えて人々に共感を与えているということは否めません。
ところで宣長が詠んでいる山桜は、昔から日本の山野に自生して、若葉と同時に「小形で清楚」(広辞苑)な花を咲かせます。これに対して里桜は園芸的に交配されてできた様々な品種で、八重咲きや枝垂れ等見栄えのする多くの品種があります。里桜の歴史も古く平安期には栽培されていたようです。また現代の桜の代表とも言える染井吉野は江戸中期から栽培されてきたと言われます。宣長も江戸中期の人ですので、一斉に絢爛と咲く染井吉野の花を観じたかどうか微妙です。
山桜は、まだ冬景色の残るようなくすんだ緑の山肌に、控え目ながら艶やかに点在、調和して、朝の斜光に明るく輝いている、そんな風情のある花です。宣長の「朝日ににおう」とはその様な光景を表しているように思われます。またこの歌では、はかなさに重なる無常観は影を潜め、無常より不変なものに視線が注がれています。質実で控えめではあっても凛として美しい山桜の存在が想像されます。漢心(からごころ,大陸文化)を排して日本の原点を求めた宣長の感性は、その原点を象徴するものとして、つくられた美の里桜ではなく、控えめな自然美の山桜を選びました。
現代の桜の名所の多くは染井吉野のようです。当菅原神社の桜もほとんどが染井吉野です。大和心を象徴する山桜とは違う風情ですが、それもまた私達の心深くに訴える、現代の日本的風景を代表する花であることは確かです。もし昔から日本に桜が無かったならば、私達の自然への感性、ひいては世界観は、きっと今とは異なったものになったはず、とは言い過ぎでしょうか。永い歴史の中で私達の自然観を醸成するのに、桜の果たした役割は大きいものがあったと思われます。