本来、霊魂が無いとする理由もどこにもないのです。むしろ、亡くなった近親者の魂の行方を思うことは、私達の自然な欲求です。その様に、死をも含めた世界を了解しようとすれば、そして死をこの生とは関係ない外部とせず、連続したものと見做すならば、この霊魂の存在は自然な要求になります。(勿論そこに科学的根拠はありません。しかし根拠について言えば、あらゆる事柄の根拠も相対的なものですから。) 人にとって肉親や子供の死後を、それまでの生とは関係なく不連続と考えられるものでしょうか。
私達の祖先は、人だけではなくあらゆるものや現象に霊的な生命があると信じました。見えるものの奥に、その源となる見えない霊性を見ていたとも言えます。これはいわゆるアニミズム (注) ですが、その心性は現代の神道にも息づいています。
神葬祭(神道のお葬式)では、亡くなられた方の御魂を霊璽(れいじ)という白木の御しるしにお遷しし、その霊璽に鎮まります御魂を中心にお祭りしつつ、御魂の安らかなる事をお祈り申しあげています。さらにこの世に残された人は将来も御魂とともに生きることになります。亡くなられた人の御魂は祖霊の領域に入って行かれるのですが、生ける私達にも御魂が宿っていると考えますので、生と死は連続しています。
アニミズム的な心性は、現代の私達の心にも残っているのではないでしょうか。風や雨にも生命を感じたり、花や草等の自然に心を通わせたり、仏壇の前で亡くなった方々と言葉を交わしたり、実に繊細微妙な情緒生活をしています。
また正月とお盆には多くの人々が故郷に帰り、家族やご先祖と共に過ごしています。故郷が懐かしく落ち着くのは、そこに原風景又生家があり親しい人々がいることだけではなく、先祖の御魂も居られるからではないでしょうか。
私達はこの現代に生きるしかないのですが、生や死についての現代的な考え方や心のあり方を、日本の伝統的な視点から省みることも必要ではないかと思います。