今年の十月二日、第六十二回神宮式年遷宮の「遷御の儀」が斎行されます。天照大御神は新たな御社殿にお遷りになります。丁度二十年前の御遷宮の折に参拝された方もおられると存じます。
伊勢神宮の歴史は二千有余年になりますが、この式年遷宮は天武天皇がお定めになり持統天皇の御代から始められ、1300年余り続けられてきた国を挙げての重儀です。二十年毎という制度は、大御神のご神威の常に若々しい蘇りを、また心と技の継承による永遠を期して定められたものでしょう。これにより他国のように神域が遺跡になるどころか、今も昔と同じ様に国の平穏繁栄を祈る祭り事が連綿と続けられております。それも、二十年に一度同じ様に御造営するのですから、昔と変わらぬ簡潔で常に若々しい御社殿の神域で。
和歌は万葉の時代より受け継がれ今も盛んに詠まれており、古い歌も新鮮です。「春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山」(持統天皇の御製) 古語と現代語の違いはありますが多少の注釈を教われば、言霊の力でしょうか、今ここでの知覚以上の鮮やかなイメージさえ喚起されます。そして様々な古歌は人の思いや想像力は昔も今もそれ程変わらないものと感じさせてくれます。
わが国では、この様に古がそのまま今に息づき、同時に漢才を始め科学技術等の洋才まで新たな知見を取り入れて同化してきました。そして新層が積み重なっても古層は消えることなく私達の文化を支えているようです。常若(とこわか)の古と進取の今の共存共生。これは世界に類の無い私達の文化の特質なのかもしれません。
広く国の歴史を見ても、誰かが古い社会の枠組みを一変させて新たな社会を創ると言うより、古層が忘れられようとすると、古層を尊ぶ運動が起こり、また同時に新層を重ね合わせつつ重層的な社会を創って来たように思われます。
このような私達の特質は、どこから来るのでしょうか。私達の自然との関係(自然に包まれている信頼~自然に翻弄される無常)が昔も今も深いところで同質であること、そして神話に連なる天皇を戴く島国であることなどに依るのだろうと想像するのですが、もちろん単純な図式では説明不能に違いありません。ただ、このような文化の中に生を受けたことを有り難く幸運に思います。
今年秋の伊勢路は、新しい神宮に参拝される方々でとても賑わうでしょう。私共も早速参拝したいものです。