伊勢の神宮式年遷宮のクライマックスとも言える遷御(せんぎょ)の儀ー[天照大御神に新社殿にお遷りいただく儀]ーが迫ってまいりました。私は、この式年遷宮について詳しく知るわけではないのですが、驚異をもって感動することがあります。
西洋の石の神殿は、ずっと壊れぬよう、固く頑丈に建てられています。しかし、諸行無常です。いつか壊れます。また日本の寺院建築は木でしっかりつくられて、地震にも強い柔構造です。しかしやはり諸行無常でしょう。これに対して、神宮は朽ちることは当たり前のこととして、二十年に一度、元の通りに建て替える方法をとりました。まるで無常を乗り越えるべく永遠を目指しているようです。神宮が建てられた頃には、既に頑丈な寺院建築の技術もあったそうですが、天武天皇はあえて日本古来の祭の形、社の形に拘られたのでしょう。(柱は礎石を持たず、土に直接埋め込む掘っ立て柱です。)
この式年遷宮の制度をつくるにあたっては、空間的に実現可能なその規模や隣接する御敷地(空き空間)の準備、時間的に実現可能な式年の年数等々が周到に検討されたはずです。何しろ自らの御祖先、天照大御神をおまつりする御社なのですから。また熟慮されたからこそ千三百年間、六十二回に亘って続けられ得たのだと考えられます。古代から現代まで、千三百年余りに亘って生き続けている制度とは、驚くべきことです。
思うに、式年遷宮の時間の捉え方は独特です。過去と未来を結ぶ一直線的な時間(これが今一般的な時間の捉え方です。)ではなく、二十年という時間を循環して、また原点に戻り、新たに生まれかわる。この循環と再生を継承していくことで、永遠が目指されています。その継承が約束されれば、そこに既に永遠があることになります。二十年という時間は、やはり、世代から世代への円滑で無理のない、心や技術の継承のためには最適な時間なのでしょう。
この時間の捉え方は、時計やカレンダーに慣れた今の時間感覚からすると独特と感じられますが、考えてみれば、私達の一年とは一つの循環と再生です。正月は私達の心の再生の時、初心(原点)を思い起こす時でもあります。毎年決まった日に行われる神社の例祭では神様のご霊力の蘇り(再生)と私達の生活世界の豊饒が期されています。私達の一生も、等間隔の直線時間に乗っているわけではありません。誕生から死までの間、多くの節目があり螺旋的な循環(私達の生は成長や老化もあり、一循環しても原点には戻らないという意味で)があります。そして個々の生は年を重ね、循環しつついずれ果てますが、大昔よりずっと継承されてきた命の流れの中で多くの部分は再び継承されて、次の世代の循環が螺旋状に始まるように思えます。
まさに日本の文化の核心部分を教えていただける宝庫のよう、ずっと継承されてゆかれますよう願いつつ、第六十二回神宮式年遷宮を皆様とともに心より奉祝いたしたいと存じます。