言葉は自然でしょうか。私達自身を含めて、私達の周りのあらゆる存在を自然と言うなら、私達にある程度共通に内在化された言葉は、最も強力で最も基本的な自然だと思われます。言葉は私達の考えや心を表したり伝えたりする基本です。そして古来の言葉の語源を調べれば古代の人々、私達の遠い先祖の考え方やものの見方がわかるはずです。
「ひと」の語源は「ひ」=みたま、「と」=ところ、つまり大昔、人とは霊のところと考えられていたということです。「ひ」又「ち」は霊を表すことが多かったようです。「いのち」は「い」=息、「ち」=霊で、私達の命とは息の霊、つまり息をしている霊のことです。この言葉の発生はいつごろだったのでしょう、直接自然の命をいただく狩猟や採集を主な生業としていた縄文期のような気がいたします。
次に「さ」という音は稲の神を表すことがあります。「さなえ」は稲の神の宿る苗、「さつき」は稲の神の月、「さおとめ」は稲の神に仕える乙女、さらに「さくら」は一説に、「さ」=稲の神、「くら」=宿る座で稲の神が宿る花とも考えられます。「いね」はと言えば、昔はいなわらに寝たことから、又いのちの根が語源という説もあります。
「さ」が稲の神をも表すようになるのは稲作文化の開花期だったと想像するのですが、「はる」と「あき」の語源の一説も稲作に関係しています。田んぼに水を「はる」季節が春、稲が収穫され田んぼが「あき」となる頃が秋ということです。
では、「おむすび」です。「お」は丁寧語、「むすび」の元は「むすひ」でした。「むす」=生す、産す、「ひ」=霊で、「むすび」とはあらゆるものを産み成す神霊のことを表しました。その「むすひ」の力によってできた一粒一粒の米をぎゅっとむすんでいただくものが「おむすび」というわけです。
また、「いのる」については、「い」=斎(いわう、神聖な行為)、「のる」=のべる、つまり祈るとは、神聖な気持ちを申し上げることです。
いかに日本の古い言葉が神道に直結しているかがわかります。まさに神道とは古い言葉のことではないかと思えるほどです。これら神道に直結する古い言葉の意味は、四世紀以降に広まった漢字文化の蔭に隠れがちですが、日本文化の大本を理解しようとする時、以上のような日本語の語源を見ますと目から鱗です。
それにしてもこのような日本語を毎日使っているということは、その古い意味は意識しなくとも、意識の底には、昔からの神霊信仰や稲作文化といった先祖達の生活に積み重ねられた神道的な言語が、これが我々の自然なのだよと言っている如く、横たわっているものと思われます。神道が今日に至るまで途絶えることなく繋がってきたのは、一つに古来の言語を散りばめた日本語キーボードが私達の自然になっているお蔭かもしれません。